PC 版の Mac OS X がリリースされるという噂がまた広まってきている。個人的には「またか」という気分になるのですが、その論拠が WWDC 2008 で「 OS X iPhone 」といった垂れ幕があった「だけ」というのについてはもはや噴飯ものとしか言い様がないです。
Apple に関する噂は常に「願望」です。もちろん真実を指すことはありますが、それはたまたま Apple がその願望を叶えるのが自社にとって「有利」だったからで、Apple にとってコストを割くだけの利点がない願望をわざわざかなえる意義はどこにもないんですよ。Apple は(狂)信者共の下僕でも神様でもなく、ただの営利企業だということをそろそろ理解した方がいいと思うのですが。
さて、じゃあ、「OS X iPhone」などの意味についての個人的見解を述べたいと思います。もちろんこれは個人的な見解で、なんのオーサライズもされてませんが、まだPC版Mac OS X よりは信憑性があるのじゃないかと思います。
そもそも、Mac って何? から始まります。Apple と Mac は不可分だと思っている人があまりにも多いのですが、Mac はただの「パソコン」にすぎません。それでも有史、つまりは90年代末から2000年の初期あたりからすると主な収益源でした。どんな腐れた信者共がいようと、それが稼ぎの元ならば、そりゃ大事にします。だから Carbon は「旧OSとの互換性レイヤー」という隠れ蓑を与えられました。(Carbon の二重性についてはまた別に書かなきゃと思いますが、今回は省略)
しかし、いまや iPod + iTunes は十分な収益を Apple に与えてくれます。ライトな iPod のユーザが Apple の半分近くを支えているのですよ。さらに、Mac の開発者/ユーザについてもUNIXやWindows界隈から移ってきた宗教性をもたない開発者や、有史以前の、(私個人から見れば)暗黒時代を知らないし知る必要のないライトユーザが増えてきております。 (どーでもいいけどそろそろ80年代の初代Macから話を始めてデスクトップメタファーどうこうの話をするのをやめようよ、電子レンジの説明に木と木をこすって火をおこす方法から説明する阿呆はいないでしょう?)
さらに、iPhone は良くも悪くも Apple の柱になりつつあります。つまり、Apple はもはや Mac には依存していない、のですよ。故に Mac を敬う必要はもうないのです。奴らの開発者向けのメッセージを注意深く読んでいけば、いかに Mac が限定的な意味に、もはや「そういうハードウェアもあるよね」程度の意味でしか使われていないことに気がつくはずです。
一方、OS X は違います。OS X は Apple の技術的な屋台骨です。iPhone, iPod touch, AppleTV 、それから Xserve。「Mac でないもの」にも OS X は使われてます。かの Microsoft でも OS アーキテクチャの二正面政策は耐えれない、DOSアーキテクチャを捨てなきゃいけなかったし、Intel だって技術的には決して劣っていたわけではないXscale アーキテクチャを捨てなきゃいけなかった。IA-64 すら意地で続けているという節があります。二つの技術的屋台骨を支えられる営利会社はそんなにないのです。Apple だって選択肢があれば OS X に全てを統一したいでしょう。( 個人的にはそろそろ AirPort BaseStation を OS X 化すると思うのですがね。)
んだから --- あくまで個人的には、ですが ---、あの「OS X iPhone」などのメッセージはあくまで開発者に向けて「OS X こそが根幹である」をあらためてアピールしたに過ぎないです。
言い換えれば、あれはモダーンな開発者への通知であると共に、レガシー開発者への絶縁状、っつーものです。
Apple はもはや Mac でない製品から多大な収益を得ているのですから、「Macの排除」が即「PC」を意味しないのです。「Mac ではない」 iPhone や AppleTV があるのですから。
最後にもう一つ、個人的な願望(決して噂とか予想なんていわないよ!)を述べるなら、「ハードウェアとしての Mac の廃止」もありえるのじゃないかなっと思ってます、そう遠くない未来に。
私はこの自由なパソコンというコンピュータは大好きです。カーネルソース見てハァハァしてるぐらいですし、ちょっとしたツールを自分のためにつくって改善していくことができるのですから。でも、じゃあどれだけの人が「開発」をするの?「プログラムを書くの?」と考えると、そんなの絶対的少数派です。オープンソースは我々にとっては「英知や技を共有する方法」ですが、ほとんどの人にとっては「タダでソフトを利用する方法」です。世の中にはビルドされてバイナリになってないオープンソースソフトウェアを無価値と非難する人がいるぐらいですから。
そんな人を相手するのに、パソコンってアーキテクチャである必要は決してないのですよ。
Web ブラウズ、メール、オフィスソフト、iLife 、そうした「日常すること」が実行できるなら、iPhone みたいに制限をされた環境でもいいじゃん、となりません? 忘れちゃいけない、Jobs は「クローズドアーキテクチャ」が大好きなんです。必要以上にオープンにせざるを得ない Mac を決して愛してないのです。
タッチパネルを持って、そうした常用ソフトが思わぬ方法で手軽に使えて、開発でできることが制限されたアーキテクチャを何らかの方法で実現したとき、多分それは Mac といわれることはないでしょう。いまの iPhone や iPod が iPhone や iPod であって、Mac でないように。もちろん、その時でも OS X は根幹のOSとして光り輝くのは間違いないでしょう。
あと、個人的には、Mac という「最後のレガシー」を滅ぼすことで、信者を地獄に落とすことができる、実質的に2000年には死んでいた亡霊みたいな連中を墓穴に突き落とすことができるので非常に嬉しかったりします。
80年代という重力に惹かれた古マカーは自分が滅ぶべきレガシーであることを自覚しろ、と切に思うわけです。